家族と出会いなおす旅に出よう〜家系の中に隠された愛の物語を読み解く家系図リーディングを通して

みなさん、こんにちわ!

 

くりです。

 

 

突然ですが、みなさん、旅してますか?旅は好きですか?

 

 

僕は好きです。

 

昨日今日と特別な旅、

亡くなった父と出会いなおす旅

に行ってきました!!

 

 

映画「リメンバーミー」

 

 

祭壇に写真が飾られて覚えていている人がいて

 

思い出してくれている間は

 

お祭りの日だけ生者の国へと戻ることができる

 

 

亡くなった家族、先祖と出会う旅

真実を知る旅

 

このテーマが僕にとって大ヒットでした!

 

 

 

 

 

似たような展開で

 

過去にタイムスリップして、

 

昔の親と出会う、若かった頃の親の気持ちや考え、人生を知っていく

 

という映画もたまりません><

浅田次郎原作 「メトロに乗って」

 

若かった頃、父の人生と気持ちを知る

 

3人の息子をどんなふうに育てるんだと熱く語る父

 

息子が死んでしまって冷たく突き放して立ち去ったあと、お店で泣き崩れていた父

 

隠されていた父の想いと愛を知っていくプロセスがたまりません><

 

もう号泣です。

 

 

 

「青天の霹靂」

 

 

ダメな父親と、自分を捨てて出て行った母のせいで、自分の人生惨めだと思っていた主人公が、

 

タイムスリップして実の父親とコンビを組んで浅草の劇場に立つ。

 

 

自分を捨てて出て行ったと思っていた母親が、実は自分を命がけで産むことで命を落としていたことを知る。

 

 

「生きる理由」を見失っていた主人公が

 

母の命がけの出産によって生きていることを知ることで

 

「生きる理由」を見つけていく。

 

 

 

「コーヒーが冷めないうちに」

 

タイムスリップして、なくなる前、別れる前、忘れる前の大切な人(恋人 夫婦 兄弟姉妹 親子)と会う。

 

大切なことを聞き、知り、

 

大切なことを伝える

 

過去は変わらないけれど

 

人の気持ちと、未来は変えられる

 

 

 

物理的にはタイムスリップはできないけれど、

 

亡くなった父と出会いなおす旅

 

として、父の生家であり、お墓がある、長野県青木村へ

 

昨日から行ってきました!!

 

 

 

 

おじいちゃんおばあちゃんが生きていない今、

 

小さい頃若い頃の父を知る人として、

 

父の弟、僕のおじちゃんに話を聞いてきました。

 

 

 

 

おじちゃんも2年前に心臓を患って手術も一度失敗した影響もあって、

 

本人もあと何年生きられるかと話していたりと、

 

元気なうちに父の話を聞くチャンスだと思って、

 

父の七回忌、命日前のこのタイミングで、

 

お墓まいりもかねて長野へ行ってきました!

 

 

 

 

3時間から3時間半で上田駅につけるんですが、

 

この時間、5歳の娘は静かにじっとしていられないし、飽きて退屈しちゃうので、

 

妻と娘はあとから新幹線で上田駅で合流することにしていたので、

 

朝10:00に練馬区役所発の高速バス(上田駅/別所温泉行き)に乗るために、

 

埼玉県入間市にある自宅を8:30すぎに出ました。

 

 

 

 

 

練馬区役所で72歳になる母と高校生になる甥っ子と合流!

 

 

 

 

高速バスに揺られて3時間ちょっとで上田駅に到着!

 

 

 

 

新幹線組の二人が来るまで30分ほどあったので、

 

バスを降りて

 

お腹がすいたので何か食べるかぁと相談して、

 

目の前にある定食屋さんに入ってご飯!

 

 

僕は、上田名物美味だれからあげ定食

 

母は、野菜炒め定食

 

あまりお腹がすいていなくて長野のものが食べたいとい言う甥っ子は、信州そば

 

を食べました!

 

 

 

 

ちょうど食べ終わった頃、

 

妻と娘が新幹線で到着する時間

 

 

 

駅に向かって、改札に迎えに行って、再会のハグ

 

 

 

14:00におじちゃんに車で迎えに来てもらって、

 

買い物をして、青木村の家へ。

 

 

 

 

父の育った、家に着いてすぐに、

 

みんなで家の裏山にあるお墓に行きました。

 

 

 

 

お花とお線香をあげて、墓石を水で少し綺麗にして、拝みました。

 

 

 

 

 

栗林家のお墓はとても立派で、

 

分家も含めていくつかの家の人がまとまって入っていて、

 

さらに横には江戸時代などの古い墓石も含めてずらっと並んでました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう日が暮れる時間だったのもあって、

 

改めてまた次の日の朝来れたらと思い、家に戻りました。

 

(次の日の朝にみんなでお墓周りを掃除しました)

 

 

 

 

家では、知らない人がいると逃げ隠れしているたくさんいる猫と少しずつ距離を縮めながら笑、

 

長野の名産の美味しいおやきを食べてお茶しながら話してました。

 

 

 

 

 

今回の旅のテーマである

 

「知らなかった父・祖父母の話を聞く、知る、出会う」

 

という本題にはなかなか入れず。

 

 

 

 

甥っ子は僕の従兄弟と野球しにいったり、

 

僕らは家のそばにある原木になっている椎茸を取りに行ったり、畑を見に行ったり、猫と遊んだりして過ごしてました。

 

 

 

 

 

おばちゃんがつくってくれた、

 

しいたけやじゃがいもやふきのとうの天ぷら

 

野沢菜の漬物や油炒め

 

自家製はくさいの漬物

 

ほうれんそうや菜の花のおひたし

 

唐揚げ

 

などごちそうをいただいて、

 

娘は特別使用のキッズプレートをいただきました!

 

 

 

 

夕飯を食べるのが少し落ち着いてから

本題の

知らなかった父・祖父母の話

を聞くことができました!!

 

 

 

 

僕のひいおばあちゃんの話を初めて聞くことができました!

 

 

 

 

とても人がよくて

 

困った人がいたら誰でも助けてきたこともあって

 

ひいおばあちゃんのことを訪ねてくる人がたくさんいて

 

亡くなった時の葬儀では100以上のお花が届いたとか。

 

 

 

 

すごいなぁ!

 

 

 

 

また映画の話になっちゃいますが、

細田守監督「サマーウォーズ」に出てくる、ひいおばあちゃんみたな感じだったんだろうなぁ。

 

 

(サマーウォーズの舞台は隣の上田市で、家や周囲の雰囲気も近いことも手伝ってそう感じてます)

 

 

 

ひいばあちゃんみたいに生きられたらいいなぁ、

 

と本気で思いました!

 

 

たくさんの困った人助けて、お世話もして、たくさんの人が葬儀に花を送ってくれるような

 

このあり方がひとつ、栗林家の血筋なんだろうなぁと感じています。

 

 

 

 

 

もうひとつ大きかったのが、

 

父と父の叔母(僕の大叔母)の関係、大叔母の存在の大きさ

 

でした!

 

 

 

 

大叔母は、僕の実家のすぐそばの石神井公園に住んでいたので

 

僕は「石神井のおばちゃん」と呼んで

 

正月には毎年顔だしてました。

 

 

 

 

母からのなんとなくは話を聞いていたんですが、

 

頑固なおじいちゃんとあまり合わなかった父

 

東京に出てきて大学に行き、会社勤めをして、後に会社を起業する父にとっては、

 

石神井のおばちゃんが母親代わりで、

 

おばちゃんが大学に行くことも東京で働くことも支援してくれた

 

ということでした!

 

 

 

 

広い畑や山を持った農家の長男であった父、頑固なおじいちゃんをして、

 

中学時代に体を壊して、体力的に弱かったということもあったけど、

 

東京で大学に行くこと、卒業後に東京で働き続けることが許されたのが疑問だったんですが、

 

それはおじいちゃん以外、おじいちゃんの兄弟、父の叔父叔母たちが助けてくれた

 

特に石神井のおばちゃんあってのことだということがわかりました!

 

 

 

だから父が母とも出会えて僕らが生まれることができた。

 

 

 

おばちゃんはもう90歳を超えているけど健在だから、

 

すぐにでも連絡して会いに行こうと思いました。

 

 

 

父が亡くなる前、

 

僕がいろいろと話を聞いていた中で

 

死ぬ前にやっておかないと後悔するであろうということは何か?という質問に対して

 

「報恩」

 

ということを言っていたことを思い出します。

 

 

 

 

「恩に報いたかった」

 

 

 

 

特に、石神井のおばちゃんが自分を母親代わりに助けてくれたことに対する

 

恩に報いたい

 

ということだったんだろうと思います。

 

 

 

以前、家系図セミナー動画で

 

「先祖がやりたかったことを今代わりにやること(先祖の願望を叶えてあげる)が先祖供養にもある」

 

という話があったのを思い出しました。

 

 

 

 

ということは、

 

今、僕が、父の代わりに

 

石神井のおばちゃんに対して恩返しをすること

 

ができたら父の供養になる

 

ということですね。

 

 

 

 

来週が父の命日で7回忌、

 

この旅路の途中で

 

石神井のおばちゃんに恩返しをすることができたらと思っています。

 

 

 

長男である父が一家を継がないことになったなか、

 

ほんとはそんな気もなかったおじちゃんが、

 

「このままだと一家が続かなくなってしまう」と

 

東京から長野に戻って、家を継いで、

 

守り続けてくれました。

 

 

 

気さくでおしゃべりなおばちゃんが、

 

ほとんど親子の会話がなかった栗林家で、

 

頑固でほとんどしゃべらないおじいちゃんに積極的に話しかけて、

 

最初はそんな話しかける感じも理解されず逆に注意されたりしていたのに、

 

その大切さを伝えて、話を聞いてくれるようになったこと。

 

そんな頑固で大変な一家に嫁いできて、

 

親戚や周囲からは

 

「あの嫁はすぐに耐えられずに出て行くよ」

 

と言われてきたなかで、

 

男の子(僕の従兄弟)を授かり、

 

今となっては30年以上も残ってくれて、

 

家を続けてくれたこと。

 

 

 

多くの土地や山を持っていた一家は、

 

分家する際に畑や山を分け与えて、

 

分家がちゃんと生活していけるように生きていけるように

 

してきてくれたこと。

 

 

 

こうして、おじちゃんやおばちゃんが、ご先祖様が、うちの家を守り続けてきたという愛も知ることができました。

 

なんだか、ぐっと、自分が今生きている意味が深まり、

 

これから生きていく、子孫を残していく、気持ちがぐっと引き締まりました。

 

 

 

 

続いて、おじちゃんに、

 

「父が小さいころ、若いころ、どんなだったか?」

 

ということも聞いてみました。

 

 

 

 

勉強はできて、頭がよくて、自分でラジオを作ったりしていた

(その後、父はエンジニアになるんですが、小さいころからそういうのは好きだったということがわかりました)

 

 

あとカメラにもはまっていて、銀塩カメラで撮った写真を自分で写真に焼くなどもしていたりと、凝り性だったこと

(僕た小さいころ、自分で撮った写真を年賀状に印刷するのを年末に、家の一室を暗室かして薬品を使ってハガキに写真を焼き付けるのを手伝っていたのも思い出します)

 

 

この凝り性は僕も引き継いでいる性質だなぁって思います。

 

 

 

 

真面目 頭が良かったけど自慢しなかったからよかったか、人が集まっていた

 

友達を連れて、自分の家にある柿の木の柿をあげて食べていたりした。

というエピソードも聞かせてもらいました。

 

 

 

百姓の家だからひとがいい 助ける 無償であげる 

嘘はつけない

商人みたいにあげてもいいものでお金をとるとかできなかった

そういう意味で会社のトップに立つ人間じゃない  2番目3番目とかだといい 内側にはすごくいい人で人望厚かった

会社の社長になってからは苦しんだかもだけど、その前の会社ではすごくうまくやっていたこと

 

 

確かにそういう性格はあったなぁ、

僕にもそういうことあるなぁと感じました。

 

 

 

おじちゃんから出てきた父の性格/性質は、

ある意味、僕の性格/性質でもありました。

 

無意識に受け継いでいた父の性質を、自分の中に見つけるという意味で、

父と出会いなおすことができました。

 

そう思うと、

実は亡くなった父と自分がひとつであるように感じて、

泣きそうになりました。

 

 

 

これがこの二日間の

父と祖父母と出会いなおす旅

でした!

 

 

 

ここまで来るのにも長い道のりでした。

 

 

 

家で僕のお金がなくなり続ける事件があって

 

きっと兄がやったと思い

 

兄のせいで人生めちゃくちゃにされた

 

兄も親も誰も信じられなくなった

 

壁を作って人と距離を保つようになったと感じて

 

中学から高校の数年間、家では一人で部屋に籠って、まるで独立国家のように誰とも会話せず一人でご飯食べてました。

 

 

 

兄のことが憎くてぶん殴りたい気持ちだったけど、自分さえ我慢すれば、この家族は平和だと思ってました。

 

親にとって自分は大切じゃないと思っていて、自分はこの親の子供じゃない、家族じゃないと思ってきました。

 

 

 

ほとんど親と会話せずに育って

 

大学入学前に

 

父の会社が傾きかけた家族会議にて

 

父のやってきたこと、父の気持ちの話を聞いたときに

 

自分と同じように感じて生きてきたことがわかって

 

20歳にして初めて

 

「僕はこの人の子供なんだ」

 

とやっと思えました。

 

 

 

 

 

その後、ヒプノセラピーやカウンセリングなどを自分が学び、

 

自分が誰かを助けることで自分も癒してきて、

 

兄のことも許すことができました。

 

 

 

さらに、家系図セミナーの中であった

 

「家系の中の問題児=キーパーソンが家系の中で一番愛がある人」

 

という話も受けて、

 

問題児だと思ってきた兄は一番愛がある人で自分を守ってきた人

 

だと思えるようになりました。

 

 

 

 

確かに繊細だった兄がいたことで、

 

両親は僕にもあまり細かいことは言わずに、

 

自由にやりたいことをさせてくれたんだということがわかります。

 

 

 

 

兄のおかげで

僕が自由にさせてもらえた

 

と思えると感謝がわいてきました。

(次の僕の課題はその感謝を直接兄に伝えることなんですけどね)

 

 

 

 

さらに家系や因縁について学んでいくと、

 

家系の中で繰り返される問題を

 

今の家系の中で誰かが引き受けている

 

という意味で

 

兄が引き受けてくれている問題があることがわかりました。

 

 

もしかしたら僕が兄の代わりにその問題を引き受けていたかもしれない。

 

 

 

 

そういう意味でも

 

兄は僕を守ってくれていた(守ってくれている)

 

んですね。

 

 

 

 

 

そんな風に、

 

今まで問題だ、悪だ、嫌だと思っていた

人や出来事の観方を変える

家系の中に隠された愛の物語を読み解く・思い出す

家系図リーディング

 

をより深めていきます!

 

 

 

家系図研究会では、家系の中に繰り返し起きるテーマを「愛の物語」として読み解き

 

さまざまなパターンを検証しながら、家系の法則などを研究し、

 

家系の土台となるパートナーシップや親子関係を

 

理想の形に導けるコンテンツの研究・開発を行っていきます。

 

 

 

 

そして、来月

 

家系の中に隠された愛の物語を思い出していく

 

サポートする人たちを輩出していく

 

ための養成講座も予定されています。

 

 

 

よかったら一緒に家族関係と家系をよくしていく家系図リーディングを学びませんか?

 

少しでも興味を持っていださった方はこちらのページもご覧ください。

 

 

家族や家系をよりよくしていける人が増えて、幸せな家族が増えて、

家系が繁栄していきますように。

 

 

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